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stay foolish

新たなライフスタイルを手に入れたくて

会社勤めしかしたことない自分にとって、縛られるものが少なくて、

時間にある程度余裕があって、蓄えも少し余裕がある、

そんな状態に夢を見たりするがそう甘い話しではないと勝手に判断してしまう。

だけど、夢を見るばかりじゃ何も変わらないので、まずは1歩動いてみようと

気になった本を読んでみました。

 

ノマドワーカーという生き方』 立花岳志

 

 

文章を書くということに興味はあったのでこのブログも立ち上げたのだけれど、

なにせ仕事をしながらだと仕事が終わり帰ってきてから

何かをする気力が残っていない。

と、そんなことを言っていても何も変化がないわけで。

ましてや、それで多少なりともライフスタイルを変えたいと思うなら尚更のこと。

 

この本で書かれていることで、自分に響いたところを挙げます。

・生活におけるブログの優先順位を「最高」にセットする(本業と同様)

・何か重要なことを始める時は何をやめるかとセット

・とにかく更新頻度を上げる

・自分という人間を「ブランド化」する

・自分が書きたいものを書く(売るための記事は書かない)

 

ブログに限らず重要な事ばかりですが、「時間」と「数」は

重要なポイントということ。

そのための優先順位で、そのために何をやめるか。

本業でもらっているお金と同じだけ欲しいのであれば、

同じ労力を費やして当たり前。

時間の切り売りと、蓄積される知的財産では違いはあるけれども、

「まあ、こんなもんで」ぐらいじゃライフスタイルを変化させるまでには

至らないよなぁ。

 

最近自分で思った言葉が「継続のみが力なり」

継続は力なりという言葉があるけれど、自分のこれまでを振り返ると

今の自分に身についているものって、ある程度の期間、

継続したものだけだなと思う。

アメリカのジャーナリスト、マルコム・グラッドウェルという人が

「天才!成功する人々の法則」という本の中で「1万時間の法則」というのを

提唱しています。

 

 

それは、物事を極めたエキスパートは練習や努力に約1万時間を費やしていた、

というものです。

これは1日8時間を毎日として約3年半です。

今では、その努力の質によって時間は関係ないという論もありますが、

しかし何かを習得するには継続が必要ということは間違いないと思います。

 

まずは慣れるという意味でも、質を置いて数を上げるということに

重点を置いてみたいと思います。

(これまでの自分は質ばかり気になって結局数が上がらない

ということばかりだったので)

そのためにも、自分が書きたいことを書くというのも大事だなと。

書きたくないことを無理矢理書くのも結局は辛くなって

継続に結びつかないような気がします。

 

そして、自分をブランド化するというのは、嘘をつかないということが

必要だと思います。

ブランドとは、何を言うのかではなく、誰が言うのか。

つまり、信頼。

その人のパーソナリティが知れてこそ、言うことに信頼性が出てくるのかなと。

そのためには、作り上げられたものではなく、本当のその人自身からし

滲み出てこないものなのかなと思います。

嘘をつかないというのは自分との対話も必要だし、

大変なことではあるけれど、そこは頑張ろうと思います。

 

新たなライフスタイルを手に入れるために、何をすれば良いのか。

これからも勉強していきます。

 

今日はこのへんで。

やるせない

うーん、やるせない。

現場を見ていないので自分は判断できないが、これで退場は厳しすぎるのでは。

しかし、事前情報で聞いていた限りではこんなことになるとは思わなかったなぁ。

問題点は2つあって、大元になる出来事と、その後の処理中の出来事。

 

大元になる出来事とその後の処理の間で、どうも話がねじれてきたというのか。

ただ、こういうときに気をつけなければいけないなあと思ったのは

正しいという思いこみと、認めたら損するかもという心理。

今回の場合、自分には事実はわからない。

ただ、その出来事そのものよりも泣き寝入りすることが許せないだとか、

小さなことでもきちんとしないと気が済まないとか、

責任がどこにあるのかをはっきりしたいとか、

損したくないとか、認めたら終わりとか。

相手の出方によって感情的になるのはわかるけど、

それにより解決から遠ざかってしまうのは違うよなあ。

 

もうひとつ、今回学んだのは第三者の振る舞い。

何によってその人が傷ついているのか、何が嫌なのか、何を大切にしているのか、

何がその人の基準なのかは当人にしかわからない。

それを第三者が「自分だったらこう考える」ということで判断してはいけない。

三者がどちらか寄りの態度をとった瞬間に、寄られた側の人は

「ほらね、やっぱりみんなもそう言ってる」ということになる。

たった一人がその他全員ということになるし、自分が正しいという判断に

なってしまう。

逆に、その反対側の人は批判されているような気になるし、

自分が軽く見られているように感じてしまう。

 

そして、その第三者が所属組織だった場合、さらにややこしくて、

どちらかを擁護する態度を取れば周りの人たちは「あー、そっちを選んだんだ」

と考える。

それはだれがどう見てもそうとしか見えない場合は、正しい判断をしたということで

評価は上がるかもしれない。

だけど、大体のことは賛否があるのだから簡単に判断をしてはいけない。

だからこそ今回みたいな場面は、介入しすぎちゃちゃいけないと思うんだよねえ。

勝手にやって、という態度でほったらかしはもっと良くないが、

組織としてどういうスタンスなのかをしっかり説明して当事者に任せるのが

よかったんじゃないかなあ。

しかしまあ、最終的には組織としても理由があってということにはなっているが

その判断自体もそうだし、そこに至るまでにも他にやり方があったんじゃないか。

 

最後になにより、残された自分たちへの態度も考えなければいけない。

具体的にどういう経緯で、どういう言葉が出てきたからこうなったのかを

しっかりと説明をしないもんだから、それってアピールしたもん勝ちなんじゃないの?

とか邪推が出てくる。

そりゃ困るのはこっちなんだもの、こういうことになったから大変だけど

なんとか頼むと言われただけでは、こっちの気持ちは??となるよ。

 

とにかく、今回の一件はまだ自分の中に波紋を広げそうだ。

ということで今日はこのへんで。

ぷらいど

プライドを辞書で引くと、誇り、自尊心、自負心、とある。

誇りを辞書で引くと、誇ること、名誉に感じること、とある。

名誉を辞書で引くと、能力や行為について、すぐれた評価を得ていること、とある。

自尊心を辞書で引くと、自分の人格を大切にする気持ち、また自分の思想や

言動などに自信を持ち、他からの干渉を排除する態度、プライド、とある。

自負心を辞書で引くと、自分の才能や仕事について自信を持ち、誇りに思う心、とある。

 

自分の周りにプライドが高いなあ、と感じる人がいる。

自分自身もプライドが邪魔しているんだろうか、と思う時がある。

この時のプライドという言葉はネガティブな意味で捉えていることが多い。

本当なら、自分に誇りを持ち、能力に優れた評価を得て、

自分の人格を大切にしているのは素晴らしいことだ。

しかし、辞書で引いた中でひとつだけ気になったのは、

他からの干渉を排除する態度、というところだ。

プライドを持っているがあまりに、他人の意見や考えを受け入れられず

自分が正しいということを押し通す。

 

プライドっていうのは、自分の内側から発するエネルギーであるのと反対に

外から身を守る鎧でもあるんだな。

たしかに、プライドが高いと思う人は人の意見を聞かないな。

的外れな自信で自分の身を守ろうとしている。

 

プライドは持つほうがいいのか、いや、はたまたそんなこと手放して

軽やかに生きたほうがいいのか、と自問自答。

そんなこと考えたって人間なんだから、勝手にふつふつと

プライドが浮かび上がってきてしまうこともあるだろうとは思うけど

それが良いほうなのか悪いほうなのか、自分の感覚をちゃんと捉えよう、

と思いながら、今日はこのへんで。

はねかえす

はねかえす力が欲しいのです。

これまでずっと、なにか目の前に問題が起きた時は受け流す、

もしくは触らぬ神に祟りなしという態度でやり過ごしてきたことが多い。

それでも、なにくそでやってきたこともある。

そういう時は自分で納得できていたような気がする。

受け流した時って、本当は自分はこうしたいということを抑えて、

気持ちに蓋をして、忘れるようにしてきた。

しかしまあ、それでは自分の中に少しずつ少しずつ歪みが生まれて

気が付いたときには取り返しがつかないこともある。

一番の害は自分の感覚が鈍くなっていくことで、ましてや自分を抑えることが

美徳と感じてしまうと自分って偉いなあという感覚まで生まれてきてしまう。

 

なぜだか自分は常に他人から見下されている感覚があって、それは謙遜というより

コンプレックスで、じゃあそれに対して何かしているかというと

そういうことでもない。

きっと、その中で自分の身を守るために受け流したり

気持ちに蓋をしたりしてきたのだろう。

コンプレックスがあるくせに、歪んだ自己肯定があって、

それがおかしな人間を作り上げている。

 

問題を跳ね返すというのは相当なパワーがいることだ。

自ら何か起こさなければ跳ね返すということは絶対にない。

勝手に跳ね返ってはくれない。

むしろ自分に向かってくるパワーよりさらに強い力で打ち返さないと

飛んでいかない。

それは直接的に誰かを打ち負かすとかそういうことでなくとも

解決のための行動を強い意志を持ってやり遂げる、ということでもいい。

 

もうこれ以上は無理というところまでやってみろ、それをやったのなら

たとえそれ自体がうまくいかなかったとしてもその後の自分のためになる、

というのは読んだだけの言葉だけど

その逆に何事も中途半端で過ごしてきてしまったこれまでのことを考えると

まさにそれが足りてないのだろうと痛感する。

 

跳ね返す力ってなんだろうと思うと、それがどーーーーしてもイヤ!

という感情が根本にあるのではないか。

これまでの自分の考え方だと、それって自分のわがままではないかという

考えになったりもするけど、それこそが自分らしいということなのではないか。

その気持ちを忘れずいきたい。

 

ということで、今日はこのへんで。

つかれた

今日は自分にとって、とても大きな出来事がありました。

この大きな出来事がこれから月に1回ずつぐらいあるんだが。。。

その様子はまた別の機会に書くとして。

 

人間って、正直だったり、素直が一番とは言うけれど、その反対に建前があるから

物事うまくいくということもある。

全てを原液のままぶつけていても良くないが、全てを隠していてもだめだ。

日常生活ではバランスというものがあるが、しかし、ここぞと言うときには正直でなきゃいけない。

どのみち気持ちが乗っかっていない言葉はばれてしまう。

まず一番に自分にばれてしまう。

自分に嘘をつき続けるとそれが本心だと自分が錯覚してしまう。

そうすると一体何が本音なのかわからなくなる。

それが一番危険で、建前を言うにしても自分の本音がどこにあるのかはわかりながら言わなければいけない。

思い込みはとてもこわい。

 

何があったわけでもないが、書いていたら自分の昔を振り返ってしまった。

何が言いたかったのかわからなくなってしまったが、今日はこのへんで。

 

 

いまさら

いまさらだけど、ブログやってみよう。

と思い、まずはアカウントを作ってブログを開設。。。というと簡単そうだけど

アカウント名は? ブログのタイトルは? なんてことを考えていると

あっという間に時間は経つばかりで。。。

 

ようやく、開設したのはよいがまず何を書きましょうというところでまた悩む、

というのがいつものパターンだけど、そうか、まずはなんでもいいから

書き始めてみましょうということで今こうして書いている。

まずは続けること。

継続は力なりというけれど、継続だけが真の力ということも

最近感じているのでまずはやってみようぜーという気持ちで始めよう。

 

ところでタイトルに、いまさら、と書いたけど何にしたって

本当の超最先端じゃない限り、いまさらと言われるのであって

それでもブログというもの、もっと言えば本、雑誌、新聞などの

活字というものが生きているということは、誰かの言葉を受け取るということが

人間の本質的な欲望、快感なんだろうな。

それを届ける側というと今は大袈裟かもしれないけれど、誰かが読んで

へぇーと思ってくれたら嬉しい。

ということで、日記も書くし、考えていることも書くし、自分の趣味や好きなことも

経験もなんでも書いてみようと思う。

 

てなところで、今日はこのへんで。